ポケモンと哲学と殺害予告。【後編】
みなさんどうも。ぽむです。
このブログは前編と後編に分かれていまして、前編の続きとなっています。
前編見てないよ!って方は
よければ、こちらからお読みください。
さて、前編では友人のR太くんから哲学の話を聞きまして・・・
それをもとにポケモンを哲学的に考えてみましたね。
哲学の楽しさを知った私は、いろんな人の意見も聞きたくなったわけですが。
高学歴な人にも哲学的な意見を聞いてみたい!
と思い立ったわけです。
わかる人はわかりますよね。
私の身近な高学歴といえば・・・
この人ですよね。M田先生です。
ちょっぴりお馴染み感がでてますね。
つい先日。
さっそくこの哲学のお話を抱えて、M田先生の研究室を訪ねてみました。
M田先生「哲学ですか。興味ありますね。」
もともと理系らしいが(先生談)、先生の興味もそそられたみたい。
手始めに、スワンプマンのお話をしてみることに。
(※スワンプマンがわからない方は、前編をご覧ください。)
すると、しばらく考え込んだ後。
M田先生「あくまで僕は、同一とはいえないと思いますね。数学的な考え方になるんだけど、反例がひとつ存在した時点で、もうそれは命題の証明にはならないですよね。だから、一緒ではないんじゃないかな~。」
なるほど、わからん。
私のように、ポカンとしちゃった方のために、簡単にご説明します。
先生の言っている反例というのは、数学の証明の問題からきてるみたいですね。
証明の問題は、命題に対して真偽を問い、偽である場合は反例といって具体的な例をあげることで証明しますよね。
数学では、この反例がひとつ成立してしまったら、その命題は真ではないことになります。
先生はこのことを言っていたんですねえ。
ここでの命題とは、スワンプマンはAくんと同一であるということ。
先生があげた反例は
もし、Aくんが生きていたとして、その状態でスワンプマンが存在してしまったら、スワンプマンはAくんのコピーにすぎない。
これをAくんの視点で考えると、「スワンプマンと自分は同一ではない」と理解する。
そうすると、Aくんにとってスワンプマンと自分は同一でないというひとつの反例ができてしまう。
少し難しい話になってしまいましたが、こういうことみたいです。
私の言葉で説明してしまうと、先生の意に介してない可能性がありますが・・・。
まあそれは、後々本人に確認してみます。笑
ほかにも、2つの哲学的お話に関しての話をしてきました。
ひとつは
もしタイムスリップして、自分が生まれる前の親を殺したら、親は本当に死ぬのか。
生まれる前の親を殺すということは、自分が生まれないことになりますね。
そうすると、過去の親を殺すはずの人物が存在しないことになってしまいます。
そうするとどうなるのか。
この問題は、パラレルワールドというものを肯定するか否かで考え方は変わってくるものですね。
私は、パラレルワールドはあるのではと思っております。
つまり、過去に飛んでも、過去はまた別の異世界であり、仮に現在の私が10年前に戻って親を殺したとしても、現在の世界では何も変わらないってことですね。
(※くれぐれも、私の考えです)
そんなことを考えながら先生を見てみると
先生はまだ静かに考え込んでおり・・・
しばらくすると、あることを呟きだしました。
M田先生「例えば、僕が30分前に戻ってぽむさんを殺したとしたら、目の前にいるぽむさんはどうなるんだろうね。」
んんんん??
いや、わかる・・わかるけど。
言いたいことはわかるけど、よりによって目の前の生徒使ってそんなとんでもない例を出すかね。
しかも安定の無表情。。。
結局、身の危険を感じ、焦った私の提案したパラレルワールド説で、一応(?)事態は収まりました・・・。
もうひとつは、先生自ら提案。
M田先生「もし僕がぽむさんを解剖して、また元通りにしてもちゃんとぽむさんは元に戻るのか、とかはどう?」
私は考えた・・・。
さっきから少しだけ疑っていたことがあった・・・。
だが、今それが確信に変わった・・・。
考えることがいちいち物騒すぎる・・・
先生実はアサシンなんじゃないか・・・
ていうか、なんで私をいちいち殺めようとするんや・・・。
私は足早に研究室を去っていきましたとさ。
今回も、前編・後編にわけたブログでしたね。
いかがでしたでしょうか。
内容が内容なだけに、読み疲れもあったんじゃないでしょうか。
でも、本当に哲学って面白いですね。
少しハマッてしまいそうです。
次回は、「妖怪×考察」シリーズ第2弾。
続いては、口裂け女とよく戦わされるあの妖怪です。
お楽しみに。
そういうわけで、今回はこの辺で。
ではまた。
P.S. M田先生の2歳の息子さんは、「猿」のことを「さる」でも「モンキー」でもなく「monkey(マンキー)」と呼ぶらしいです。私より賢いやないか。